親が吃音のある子どもにできること【子どもの全部を受け入れたい】

おはようございます。”おこめさん”です。

昨日、一昨日に引き続き吃音についてです。
(3回連続で書くのは初めてかもしれません)

吃音について知れば知るほど、自分が無意識に周りを傷つけてしまっていたんじゃないだろうか、と反省させられることばかりです。

昨日の記事にも書きましたが、知らないってことは知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまうことにつながることがあります。

正しく知っておくだけで、自分もまわりも救われる

そんなことってあると思うのです。

今日は吃音について最終回。

学校では教えてくれない「吃音って何?その3」編、まわりはどうしてあげたらいいの?です。

その1

その2

参考

吃音のある子どもと家族の支援

キラキラ どもる子どものものがたり

おこめさん→現在育休中の2児のパパ。教員10年目。2021年4月に独立し、6月にオンライン塾を開校予定。

※ここでいう学校では教えてくれないというのは、公教育の土台の中にこのカリキュラムが組まれていない(そんな隙間がない)ということで、熱心な先生の中には個人的に伝えている方もいらっしゃいます。ただ、仕組みとしてはそうなっていないよね という問題提起も含めてです。

二次的障害

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昨日までは吃音自体についての説明でしたが、今日はまず吃音による二次的障害について触れておきます。

二次的障害とは吃音自体の特徴というよりは、吃音があることによって、引き起こされる可能性のあるもののことです。

例えば、

いじめ
引きこもり
成績の低下
不登校
社交不安症などの精神疾患

などです。

成績の低下

とはどういうものでしょう。

例えば、国語の授業で読物を順番にあてられる場面において、吃音の子はどのような心境でしょうか。

もちろん個人差はありますが、

「読む時に吃音が出てしまったらどうしよう」
「また笑われるのかもしれない」

このような不安をずっと抱えながら自分の順番を待つことになります。

その結果、自分の番まで読まれてきた内容がほとんど頭に入ってこない

という状況になります。

算数の授業ではランダムにあてていく方式をとっているとします。

吃音の子にとってはこっちもかなり負担のかかることです。

いつ当たるかわからないから、この不安を常に抱えながら心の準備をしておかないといけない。

そのような状況では集中することも難しくなっていくのです。

これらの結果として学力低下につながることがあるといいます。

社交不安症

とは、恥ずかしがりや、あがり症に近い症状のことです。

吃音を持っている人の約半数がこの社交不安症になると言われています。

これは人前で注目される状況において、「うまく話せるだろうか」「最初のことばがうまく出るだろうか」という心配も重なり、不安感、恐怖感だけではなく、動悸を感じること、顔が赤らむこと、汗をかくこと、手足が震えるといった身体の症状も一緒に生じるといいます。

例えば 健康調べ という場面を想像してみて下さい。

これは、全員のその日の体調をチェックするというもので

大体が「はい、元気です」と答える中、たまに「頭がいたいです」と別のことをいうと「ほんまか?」などと茶化しが入ることがあるとします。

吃音の子にとってはどういう状況でしょうか。

「はい、元気です」という言葉で吃音が出そうだと感じた時、次に言い換えを考えます。(吃音がでにくい言葉に変換する)
だけど言い換えたら逆に目立ってしまう。だからといって「はい、元気です」はどうしてもどもってしまう気がする。

こうして緊張が高まった結果、自分の番になると黙ってしまう

まわりからは「早く言えよ」というプレッシャーがかかり、もっと言いづらくなる。

このようなことによって、社交不安症になっていくというわけです。

進展(悪化)

こんな積み重ねによって、次第に本人は吃音が目立ちにくいように工夫することになります。

「は、は、は、はい!」(連発)→「はーーーーーい」(伸発)

「はーーーーい」(伸発)→「・・・・はい!」(難発)

実はこれは悪化してしまっているよくある例なのだそうです。

一見、より自然な話し方に近づいているように見えますが、本人にとってはこれはかなり不自然(頑張っている)なことなのです。

最後にある「・・・・はい!」とはいわゆる難発というもので、

これをずっとやっていると、自然と体がなれてきてしまって、だんだんそのままでは「はい」がでなくなるといいます。

「・・・・はい」→「・・・・・・・・・・・・はい!」

のように。

これをなんとかしようと体をゆすったり、言うために力んだりして、顔を真っ赤にさせてしまうこともあるようです。

こうなると、話すこと自体がつらくなってしまい黙ることも増えるといいます。(答えられるけど、吃音が出そうだから黙っておこう)

もしくは吃音が出にくい言葉を選んで話すようになる(おはよう→ハロー。ありがとう→サンキューと言ったり)ことで、相手に変に受け取られてしまったりします。

その人の内面の部分まで誤解されてしまうことにつながるのです。

そして、吃音持ちの子自身もそのようなことを繰り返すことで本当に内面まで変化していってしまうということもあるのです(引っ込み思案になる、自分に自信がなくなる)

大事なのは周りの認識、知っているということ

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吃音が本人の遺伝的な要因であり、自分ではどうしようもない場面がほとんどであるとしたら、どもってしゃべってしまうことは悪いことなのでしょうか。

吃音をもった多くの子たちがさっき紹介した進展をたどってしまうのは、吃音の特徴というよりは、まわりの反応が引き起こしてしまっていることがほとんどです。

吃音を持つ子たちにとって、連発を伴って話すことは実は自然なことで、いいにくかったり、もどかしさは感じていなくて、ぼくたちが自然と話すことと同じように感じているのだといいます。

だけど、まわりから「いいにくそう」「変な言い方」といった捉え方をされてしまうことで、本人もこの話し方って普通じゃないんだ、これって言いにくそうに聞こえるんだ

と捉えてしまうのです。

まわりにいる人がしてあげられることは

吃音について正しく知るということ。

どもりながら話していいって環境を作ってあげること(だって、それがその子にとっての普通の話し方なのだから)

何より、どもる姿も全部ひっくるめて子どもを認め愛してあげること

このようなことだと思うのです。

だから、吃音をもった子達のことを「可愛そう」って思わないことです。

その子にとって当たり前の「どもる」という話し方。

どもってしまうことをかわいそうと周りが捉えることで、自分を否定された気持ちになってしまうのではないでしょうか。

前回も書きましたが、ありのままの姿を受け入れる、このような姿勢が求められているのだと思います。

そしてこれは吃音ということだけにとどまらず、一人ひとりが生まれつき持っている様々な特徴に関しても言えるものなのかもしれません。

おわりに

なんだか偉そうに書いてしまいましたが、ぼく自身も吃音のことを間違って認識してしまっていた一人です。

ちゃんと知ろうと努力してこなかった一人です。

自然と治ることがほとんどなんだから、別に何もしなくてもいい

そんな風に考えてしまっていました。

だけど、それって子どものことを真剣に考えているって言えるでしょうか。

ぼくは本当に反省しました。

どもりがある今の息子の姿を本当の意味で理解するためにはやっぱり正しい知識は必要だって思います。

子どもが今どんな思いになっているだろうか、

自分がどもったことがないからこそ、勉強することで想像できる部分が増えたなって思います。

そして、より息子の言葉に耳を傾けたいなって思えるようになりました。

今日まで3日間、読んでくださった方がいることに嬉しく思います。

ありがとうございます。

これからもどうぞよろしくお願いします。

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