おはようございます。”おこめさん”です。
昨日、ふと考えました
内容は「はたらくって何だろう」です。
目次
目次
- はたらくとは
- 毎日ぼくははたらいているの?
- 何をするかを選ぶ基準
はたらくとは
ぼくはよく「はたらく」ことを「誰かを笑顔にしてその対価としてお金をいただくこと」
と伝えています。
間にお金を挟まないではたらくって場合は「ボランティアとしてはたらく」
というように、ボランティアという言葉を入れる場合が多いからです。
誰かを笑顔にすることにつながらないことははたらくではないし
お金を払ってまで ではないことは はたらくってことではないのだと思います
その行動をすることで 誰かを笑顔にして、その結果お金がいただけるかどうか(もしくは支出を減らすことにつながるかどうか)
この点が大事な視点だと感じます
(そのため、スキルや思い、その表現方法というものが問われます)
ただ、先生だったころのはたらくという感覚は
決められた時間に出勤し、職場内での仕事をする
(会議の資料をつくる、授業準備をする など)
というものでした。
とりあえず、最低限決まった時間内に職場にいるってことをしていれば毎月お金をいただけていました。
そして、それらは成果に対する報酬というよりは
年功序列型という、日本の古い制度が今なお受け継がれているものでした。
どれだけやっても、給料には特に反映されない
このことは、とくにこれからの世代にとって、大きな足かせになる気がしています(何を成果とするか、図りにくいこと、評価が難しいことはもちろん理解します)
毎日ぼくははたらいているの?
今のぼくはというと、
仕事といっても報酬に直結するものもあれば、直結しないものもあって
(すっごく長い目で見ればそうなるもの)
趣味でやっていることと、仕事としてやっていることの境目がなくなっているような感覚です。(もちろん、授業や子どもたちとのやりとりはプロ意識をもって取り組んでいますが)
こういう部分って独立したからこそだなって感じます。
何をしてもいいんだけれど、その結果として報酬は保証されていません。
でもこれはぼくがやろうとしていることの特徴の一つなのかもしれません。
ただ、商品を売るっていうことと違って
自分という人を知ってもらって、信頼してもらって
そこに対価を払っていただくことがぼくのやっていこうとしていることだとも思うので
まずは自分がどういう人間か
何を成したいと思っているのか
そういったことを知ってもらうということもはたらくってことにあたるのかもしれません。
何をするかを選ぶ基準
何をするか、何をしないかを自由に決められるということは、
その都度、自分の中に基準が求められます。
限られた時間を何に使っていけばいいのか
何がはたらくってことになるのかわからない状態であれば
いっそのことワクワクするかどうか
というのを一つの基準にしています。
それは自分が先生をやめた理由の一つに後悔のない人生を送りたい
というのがあって、後悔する理由の一つに
自分の思いに真っ直ぐに生きていたかどうかが入ってくるからです。
そうやってワクワクすることに飛び込んでいく毎日を過ごすぼく自身を見てもらった先に
それまでの活動がはたらくってことにつながる日がくるんだと思います。
結論
はたらいているかどうかは 今この瞬間はわからない
でした。
今日もワクワクを大切に活動していきます!!(はたらくとは言えないw)
今日もここまで読んでくださってありがとうございました。