なぜ統計学が最強の学問なのか①【教育界にもエビデンスを】

おはようございます。おこめさんです。

今日は久しぶりに本の中からヒットした内容をお届けします。

題して学校では教わらない「根拠のある情報を見つける方法」編です。

※ここでいう学校で教わらないとは、現在の義務教育のカリキュラムには入っていないけど、社会を生きる上でとっても大切だよねという内容を扱っています。

おこめさん→10年間の中学校勤務ののち、学校だけでは届ききらない教育を届けるため退職。おはようから始まる寺子屋を運営。

コレラという疫病

19世紀のロンドンではコレラという原因不明の疫病が蔓延していました。

このコレラに対抗するために、高い教育を受けた科学者や医者たちがその知恵を絞っていました。

例えば一人の医者は、彼が調合した特別な消臭剤をロンドン中にまけばコレラが抑えられるという仮説をたてました。

というのも、当時のロンドンは産業革命の真っ最中で、農業で食べていけなくなった人が都会におしよせ、その人口増加に都市の発達がおいつかず、住む場所もなく、下水も整備されていない状況でもあったので、ゴミや排泄物が庭や地下室、道端といったそこらじゅうに溜め込まれていたからです。

この状況さえ改善することができればコレラは抑えられると考えたわけです。

またある役人は、とにかくそのような状況を改善すればいいと考え、街中のゴミや排泄物のかたまりを川から海に流してしまうことで、街中をきれいな状態に保つという方策をとりました。

この結果、たしかに街自体はきれいになっていきましたが、それでもコレラの感染者数は一向に減りません。むしろこの政策の後、その数はさらに増え死亡者数7万人に達したといいます(それまでの最高死者数は2万人)

統計学が認められたきっかけ

この状況に対して、統計学の手法を使って戦いをいどんだ医者がいました。名前をジョン・スノウといいます。疫学の父といわれる人物です。

彼が何をしたかは至ってシンプルです。

・コレラで亡くなった人の家を訪れ、話を聞いたり付近の環境をよく観察する。
・同じような状況下でコレラにかかった人とかかっていない人の違いを比べる
・仮説が得られたら大規模にデータを集め、コレラの発症/非発症と関連していると考えられる違いについて、どの程度確からしいか検証する

たった3つの原則に従ってスノウは調査を進めます。

その結果見えてきたのが次の表です。

画像1

当時のロンドン市内では2つの水道会社が営業をしていたそうです。

当時の街の人の感覚では、水道会社を水の質で選ぶということはなく、住んでいる地域が近くでも割り当てられている水道会社の水をそのまま使っていたそうです。

これらの事実を受けてスノウは、

「コレラ感染拡大防止のために水道会社Bを使うべき」

という解決策を提案しましたが、「科学的ではない」「確実な証拠がない」として学会や行政からは退けられたそうです。
(しかし、このことが後々認められ統計学が医療の進歩に大きく貢献することになりました)

この後30年後に別の学者の研究によって、コレラ菌が水中に生息すること、コレラ患者の排泄物に含まれること、そしてその水を飲むことでコレラに感染することが判明したそうです。

実は、水道会社Aは川の下流の水、水道会社Bは川の上流の水をくんで、水道水として活用していたそうです。

そこに前述の優秀な役人の政策が加わってしまい、コレラ感染を広げることに貢献してしまっていたのです。

疫学が寿命を伸ばした

ジョン・スノウが使った統計学的手法は、その後様々なところで医学界に進出していきました。

例えばタバコ

今では当たり前になっている

タバコを吸えば肺がんをはじめとしたがんになるリスクが上昇するということも、血圧が高ければ心臓病や脳卒中になるリスクが高まるということも

ほんの50年前までは医者や科学者の中でもタバコが健康に悪いのかどうかは経験と勘によって語られていたそうです。

人によって結論が違う議論がそこらじゅうでなされていて、

だからこそ街の人々も禁煙することに至らなかったといいます。

もし、今もなお経験や勘だけに頼った議論がなされていたとしたら、一体どれほどの命が失われていたのか見当もつかないほど、統計学は医学の進歩に力を発揮したといわれています。

教育にもエビデンスを

その流れを受けて教育界にもエビデンスの必要性が叫ばれています。

教育は、誰もが実際に受けてきた経験があり、育児を通して子どもへの教育に携わることもできる分野です。

だからこそ、誰もがそれぞれの思いや経験があります。
(教育界は1億総評論家と言われる所以です)

〇〇すれば学力があがる

いい大学に入学するには○○するほうがいい

様々な手法などが世の中に溢れています。

でもこのときに立ち止まって考える必要があるのは、それが経験や勘で語られていないかという点です。

論理的に語ることで確からしい話をすることは誰にでもできますが、

それがどのような事実に基づいたものなのか、

その裏付けとなるデータはどのようなものなのかは

慎重に把握していく必要があります

それこそ教育はその国の未来を担う根源となりうる領域だからです。

教育界にエビデンスをという話をすすめるときによくある意見が

教育というのはその瞬間にデータとして現れにくいものだから、エビデンスなんてとりようがないということです。

でもそもそもデータというのは目に見える形で自然と存在するものではなく

定量的にはかれるものをその中に意図的に作り、そこからデータ化していくという過程が必要です。(コレラの原因をつきとめるために行った質問などもこれです)

世界の幸福度ランキングなどができるのも、そうした過程があってこそです。

だから、どのような層にどのような質問をするか、どのようにその対象をおいかけていくのか、このような手法自体を研究すること自体が必要だということです。

最初から無駄だと決めつけるのではなく、教育界全体が今よりもっと前進していくためにも、このような統計学的考え方は大切だと感じました。

次回は、世の中のデータをどのように見つけて、それをどう読み解いていくのか

この点についてまとめていきます。

今日もここまで読んでくださってありがとうございました。

ブログ こめたか

おはようから始まる寺子屋 おはこや

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