哲学対話について【大事なことが詰まってる】

おはようございます。”おこめさん”です。

昨日はおはこやでボードゲームをしたようすを記事にしました。

次は、哲学対話というものに目をつけています。

今日はそのことについてまとめていきます
(まとまる気がしない)

おこめさん→教員10年の末、独立した2児のパパ。オンライン塾 おはこやを運営中。

目次

  1. 哲学対話とは
  2. ヘビーな入り口
  3. 人との対話で気づくってことは

哲学対話とは

哲学対話とは、子どもたちの思考力を養うために70年代にアメリカで始まった「子どものための哲学」に由来する。それは、哲学者の思想を教えたり抽象的な問題について議論したりするのではなく、各人が一人で思索にふけるのでもない。身近な問いから出発して、グループで一緒に問い、考え、話をしていくものである。中学校以上が一般的だが、小学校や幼稚園で行われることもある。いずれにせよ、共に話すことを通して共同で思考を広げ、深めていくのが哲学対話である。

考える自由のない国—哲学対話を通して見える日本の課題ここ数年、私は「哲学対話」という活動を通して様々なところに関わってきた。哲学対話とは、子どもたちの思考力を養うために70年www.projectdesign.jp

と紹介されています。

さらにこの哲学対話を行う上での大切なこととして、

「何を言ってもいい」「否定的なことは言わない」というルールがあげられます。

社会で過ごしていると、何を言ってもいいという場面や

否定的なことは言われない

という空気感を味わえるときって少ないと感じます。

でも創造的な意見や新たな気付きがうまれる瞬間というのは、大抵

意図しないところからうまれたりするものです。

何を言ってもいい、

ありのままでいい

そんな空間作りをこの哲学対話の時間を通して作っていけたらいいなと思うわけです。

ヘビーな入り口

とはいえ、哲学対話をします!

というのは結構ヘビーな入り口だとも感じます。

さきほど、あげたそういう点に魅力を感じてもらえる人や

あてもなく、ゴールもない

そんな対話に魅力を感じてもらえる人にきてもらいたいなって思います。

こういう答えのない、ゴールのないものを探そうとできるというのはとっても大事な視点で、

そういうことに面白がれるかどうかも大切です。

何よりも違いを楽しめる文化、感覚が重要で

あの人は変わってるから、あんまり関わらないようにしよう

ではなくて

あの人は変わってるから、話をするのが楽しい

っていう感じ。

人もものも環境も

違うってことや

自分の常識の外側を体験できたときに

人は自分という存在を広げることができます。

厳密には自分が広がるというよりは、自分を眺める視点を手に入れたり

より高いところから、自分を含めた社会を見ることができるようになるって感覚です。

つい人はゴールを決めてしまいがちです。

〇〇に向かって話をすすめていこう!

とか

この会議での目標は何か。

みたいな

そうすることで時間の効率はあがるし、生産性もあがります。

効率を追い求めることは大切ですが、

そればっかりになってしまうと人生が窮屈になります。

たまには、目的やゴールも設定せずに

一つのテーマについてゆるくそれぞれの思いを伝え合う

そんな時間があってもいいのになって思います。

おはこやで行っていきたい哲学対話はそんな時間にできてもいいのかなって思います。
(もちろん、真剣に向き合うべきテーマを選ぶときもありますが、それでもゴールは設けないし、肩の力は抜いてできたらいいなって思います)

人との対話で気づくってことは

たぶん、自分の価値観を崩せる度胸がいるのかもしれません。

第三者もいる場所で、自分の価値観を崩せるかどうかは

その人のプライドにも関わっていて、

多くの場合は、複数いるときには、何も自分に響いてこないのかもしれません。

1対1であれば、飲み込める価値観の再創造も

まわりの目を気にして、それができなくなるってことはあるのかもしれません。

なので、哲学対話のような複数で一緒に対話を深めていくという活動のあとには、必ず自分との対話、

自分が過ごしたその時間の中で、どこが一番ヒットしたのか

どういう点がよかったのか

そういう深堀りが必要な気がします。

そこら編を踏まえておはこやでの哲学対話をかたちづくっていきます。

今日もここまで読んでくださってありがとうございました。

おはようから始まる寺子屋 おはこや

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