コロナ いや、ICTの遅れによって奪われたもの【そんな簡単に割り切れない】

おはようございます。”おこめさん”です。

今日は思うがまま、書かせて下さい。

実は今週月曜日、離任式が予定されていました。

独立後、基本的にはフリーだとはいえ、いくつかの予定を離任式に合わせて調整したりもして、準備をすすめているところでした。

そんな中、ふと日曜日に元職場の同僚と電話で話をしているときに、「明日の離任式ありませんよ」

そこで初めて聞かされました。

そうです。コロナの影響です。

放送でする、とかそういう変更は考えていましたが、「完全に中止」

ということは想定できておらず、ショックを隠しきれなかったです。

これまで「離任式で伝える場面がある!」

というのがぼくが独立を決断できた、一つの理由だったからです。

育休中には、子どもたちに(多くの先生方にも)話をするわけにはいかない

育休中に考えたこと

そこからやめるに至った様々な葛藤

ぼくが何のために、大好きな先生をやめたのか、ということ

ぼくの帰りを待ってくれていた子どもたちに伝える機会が保証されている

そう思ったから、最後に決断できたのです。

だけど、そんなことは誰も知らず、(伝えられてもいないので)

やめていった人の思いなんて、二の次
(その人がどうしたいか、どうすれば実現できそうかなんてことも言える立場でもない。)

完全に蚊帳の外です。

ぼくの思いや子どもたちの思いはどうなるんだろう。。。

本当に悲しくなりました。

録画した動画を流す。
ZOOMでリアルタイムで中継をする。
やり方はいくらでもありそうなものですが、

それらをやるまでの価値がないって判断されたのでしょうか。

それよりも子どもたちの授業を進めることの方が大切でしょうか。

それともそれだけの時間が確保できないでしょうか(録画を流すは確かに少し手間ですね。)

でも、人の思いってそんなに軽いものでしょうか。

ぼくは先生として子どもたちに大きな疑問や不信感を残したままいなくなってしまうのはあまりにも違うと思うのです。
(それはやめるって判断したあなたのせいでしょ、と言われるんでしょうか。でもちゃんと伝えるつもりでいたんです。どうしても伝えたいんです)

これって、実は去年にもあった話で、当事者であった僕にはそれだけの配慮ができていたか・・というとそうではないのです。

「離任式がない。仕方ないよね」で終わっていたのです。

きちんと子どもたちに挨拶ができた先生はいいのですが、そうでない先生もいたんじゃないかなって今となっては感じます。

ただし、去年にそれだけの技術と対応力があったかというとそうではないかもしれません。

ZOOMでつなぐときの端末の確保、それだけでも難しかったのかもしれません。

また、一度も同時中継という手をとったことがなかったので、その点も課題の一つにあがっていたかもしれません。

でも今は違うはずです。

どの学校にもタブレットがあります。ZOOMは標準で入っています。

技術的には簡単に実現できるはずです。

簡単でなければ先生方に大きく負担がかかるのであれば厳しいですが、これは簡単なことです。
(だけど、どこまで言っても死人に口なし。どれだけ市に貢献してきたとしても、ぼくが何を言っても届かない。)

昨年度最後の職員会議で挨拶に行きたいという思いも、「離任式があるから、そこで伝えたらいいよ」といってもらい、結局昨年度きちんと職場に挨拶することもできずでした。(というか基本は育休中の人が職員会議にいくのもよくないんですよね)

それもこれも全部離任式がある、という前提で

それを心の一つの支えにしてやってこれたのです。

今回の一件でコロナや、ICT整備の遅れ、学校の事なかれ主義が奪ってしまってきたことが実はあるんじゃないかなって感じます。

それは人の思いです。

なんのためのICTなのでしょう。

なんのためのギガスクール構想なのでしょう。

子どもたちに未来の可能性を示し、その可能性を広げるためのものではないんでしょうか。

ICTとはそもそも人と人をつなぐための技術だったはずです。(だからコミュニケーションが入っている)

今回の件でICTを活用することは市全体の情報リテラシーをあげるためにも大きな影響を及ぼせたと思うのですが

どれだけ思いを入れたとしても、それを実現させる手が思いつかなったら(もしくは手間が多くてできないと判断する)
その人の思いはなかったものとされてしまうのですね。

ここで書いていても仕方がないのはわかっていますが、それでもどこかに吐き出さないと気持ちが整理できないって思っちゃったのです。すいません。

ここからはちゃんと切り替えて前を向いて歩いていきます。

今ぼくにできることは手紙を書くことかなと思います。

子どもたちに手紙を書きます。

一人の人間の10年分の思いを手紙に精一杯込めます。

それで伝わるかどうかはわかりませんが、それが今何者でもなくなったぼく個人ができる精一杯なのかなって感じます。

これも一つの現場の課題ですね。

いつか何かの形でなんとかしたい!

そう思える一つの宿題をいただけたのかもしれません。

今日もここまで読んでくださってありがとうございました。

これからもどうぞよろしくお願いします。

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