正解はないけど、ダメな授業は確かに存在する【耳を疑う道徳の授業】

おはようございます。”おこめさん”です。

最近は本のまとめ的な記事がストップしています。

といっても毎日の読書習慣はバッチリ続いています。

昨日の記事で書いたように、noteに書くために読むというよりは、読んだ本の中でバシッと響いたところや、書くことでその本の内容を頭に残したい、という時だけ記事にしようと考えたからです。

で今日の記事はというと最近読んだ本の中でとくにバシッと響いた内容について書かせて下さい。

参考

おれは無関心なあなたを傷つけたい

おこめさん→教員10年の末、独立した2児のパパ。オンライン塾 おはこやを運営中。

この本の結論

無関心で見て見ぬ振りをするのはもうやめよう です。

世の中にある格差、差別、環境問題、原発問題、災害被害・・・

それらすべてについて芸人村本大輔さんが、自らが現地に行き、そこで暮らす人達の心の奥底にある本音を聞き、体験してきたことが元になって書かれた本です。

すべてに足を運ぶことや体験することはできなくても、もし自分が被災したら・・もし自分が相手の立場だったら・・

すべての人に世界に向けた発信の力が与えられた今だからこそ、発信の前にほんの少し立ち止まって考えてみることが大事なんじゃないか

そう言われている気がします。

この中で出てきた道徳の内容

この本の中で、ある道徳の授業が登場します。

テーマは「友達について知る、思いやり」です。

問題は、その授業の中身です。

孤児院出身の一人の女の子がいるクラスで、

先生が突然「〇〇ちゃんには、お父さんとお母さんがいません。」と切り出し、「みなさんはどう思いますか?」と授業を進めていったというのです(本人に確認も取らずに)

最終的に他の子どもたちから「かわいそうだと思いました」と意見がでてきて、「寂しい思いをしているので、みなさん優しくしてあげましょうね」というまとめで終わったそうです。

その子にとっては普通だったことが特別なこととして扱われたことによって、その子の日常は変わります。

まわりの子たちは、それまで普通に接していたのに、嘘のように優しくなったといいます。そうやって気を遣われていると感じる優しさは、友達との心の距離を遠ざけ、傷つけてしまうことにつながります。

彼女は先生によって、道徳を教えるための犠牲になったのです。

彼女は当時を振り返り、あれはもう地獄であり公開処刑だった、晒し者だったといいます。

正解はないけど、失敗はある

いや、もうホントにこれ読んだ時、心が怒り狂いそうになりました。

子どもの心を踏みにじるというか、なんでそんなこと平気でしちゃうかな。。と

授業において、これが正解 というものはありません。

だけど、これはやっちゃダメだろ というものは確かに存在します。

ずっと黒板の方だけ向いて行われる授業や子どもが一切発言できない授業などがそれです。

そして、道徳において、この授業は確実にやっちゃダメだろというものです。

ぼくはこれまでこんな道徳の授業聞いたことないし、そもそもそういう事情を抱えた子に対しては、学校側として最大限配慮するよなって思います。(子どもに配慮させる前に大人ですよね。学校ですよね)

そして、こういう授業をしたあとに、とくに何も問題なく先生を続けてしまっている、ということも問題だと感じます。

構造的な問題

授業をする前に 「それってどうなの!?」

って誰かが気づいて声をかけてもきてもいいようなものですが、それが学校の仕組み上できていないのが現状だったりします。

先生の授業は基本、その先生にほとんど100%任せられています。

そして、毎回の授業についてフィードバックをくれるシステムは残念ながら学校にはありません。

道徳の授業などは、学年の先生で検討して、一緒の温度感で授業をつくっていくという場合もありますが、それは学校の仕組みというよりは学年全体の雰囲気に任せられていて、これも絶対ってわけではないんです。

そうするとこの本に出てきたみたいに、子どもに対して一生の傷を負わせてしまうような授業が行われてしまう時もあるのです。

誰でも失敗はあるんだけど、(この失敗はしちゃダメだとも思いますが)

大事なのはそれをしてしまったあとに、どうやって挽回できるか です。

でもその失敗を失敗として捉えることができなければ、そもそもその先生はいつまでも改善することができずにいます。

これも構造的な問題の一つなのかもしれません。

おわりに

最後は学校の構造上の問題に向けました。

道徳心のある先生を!

といっても道徳心って何だ?

というこれまた答えのない話になるので、それなら一層、みんなで議論できる場が大切だと思います。

そのためには、やっぱり時間が必要なんですよね。

先生たちがみんなで議論する、考える時間が必要です。

先生たちが世界に触れ、世界を知り、そこから自分をアップデートしていく時間が必要です。

先生たちが目の前の子どもたちのために全力で向かえる時間が必要です。

毎回思うのはそこです。

なんとかしたい!

その思いはこれからもずっと持ち続けます。

今日もここまで読んでくださってありがとうございました。

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