はようございます。”おこめさん”です。
今日は「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んで感じたことを書きます。
結論は、
どこまでいっても人は無知である
です。
よければ最後までお付き合いください。
おこめさん→現在育休中の2児のパパ。教員10年目。2021年4月に独立し、6月にオンライン塾を開校予定。
たくさんの気づき
この本は日本生まれ日本育ちの著者がイギリスで保育士として働いた経験や中学生の子どもとする様々なやりとりから、感じたことや気付いたことが綴らているものです。
この本の中にはイギリスの学校の様子などもたくさん登場しますが、読めば読むほど日本とは全然違う「教育」のカタチが見えてきます。
例えば、イギリスの中学校教育には「ドラマ(演劇)」という教科があるそうで、カリキュラムに組み込まれているそうです。
これは自己表現力や創造性、コミュニケーション力を高めていくための教科で、中等教育修了時の全国統一試験GCSEの受験科目の一つにもはいっているといいます。
他にも、イギリスの保育所には大体どこにでも「タンタンタンゴはパパふたり」という絵本が置いてあるそうです。
それは「へらぺこあおむし」や「かいじゅうたちのいるところ」と同じくらい、どこにでもあるそうです。(日本では見かけない?)
この絵本はニューヨークの動物園での実話を元に作られたもので、恋におちた二羽のオスのペンギンの物語です。イギリスでは小さい頃から性の多様性についても当たり前に触れる機会があるようです。
特に印象的だったのは、筆者が様々な人とコミュニケーションをとる際の心のようすも含めて描かれていて、相手のいろんな背景を想像し、相手に合わせて話をしていたところです。
その言葉を伝えた時に相手の立場であればどう捉えるか
みたいなものです。
それでも踏んでしまう地雷というものはあるようで、
相手のことを最大限配慮して発した言葉であっても、相手には違う捉え方をされて、一気に相手が離れていってしまうという部分がありました。
視野の広さに限界はない
ここでぼくが感じたことは
これだけ知っていれば、これだけ経験していれば人に十分配慮できる
というものはどこまでいってもないんだろうなってことです。
いろんな人の考え方に触れること、いろんな人が抱える背景について知ることは人とコミュニケーションをとる上で大切な一つの要素ではあるとは思います。
だけど、どれだけたくさんの人と出会い、対話を重ねて、いろんな価値観に触れてきた人であっても「自分は誰に対しても最大限配慮できる人だ」って思ってしまうのは違う気がするのです。
どこまでいっても、相手を本当の意味で知って理解するというのは難しく、相手の心の部分までを含めてわかった気になるのはよくないよなっていうことです。
大事なのは、やっぱり
知らないということを知るということ
視野が狭いを認識すること
自分が足りない存在であるということを言葉だけでなく、行動や心でわかっていること。
すべてを理解して、すべてを俯瞰して人を見つめる、世界を見るということはできないのです。
どれだけ学んでもその学びには限界がないし、
どれだけたくさん対話をしてもその気づきにも限界がありません。
もう十分理解した、学んだ、吸収した、気づけた、引き出しが増えた
と思ってしまうこと自体が成長を止めてしまうことになるし、ある種の怠慢になり、いつか人を傷つけてしまうのかもしれません。
(人を傷つけてしまっても、誠意を持って謝り、自分の糧にしたらいいとも思う。)
今のぼくはまだまだ、成長するぞ!吸収していくぞ!!
ってなっていますが、人付き合いに対していつか「これで十分だ」
とならないように、肝に命じておきたいなって思いました。
今日もここまで読んでくださってありがとうございました。
ブログ こめたか
オンライン塾 おはこや
参考