おはようございます。”おこめさん”です。
ぼくの友達に〇〇の人がいるから、○○について知っていて、だから〇〇を批判するわけがない
このような論法を I have black friends 論法というそうです。自分の差別を正当化したい人が使う典型的な論法「I have black friends」とは? | Buzzap!人は誰しも多かれ少なかれ、差別や偏見に基づいた物の見方をしているもの。 しかし今日の社会において、それらは忌むべきものとさbuzzap.jp
以外とこの論法を持って、様々な差別に対して、自分はその差別意識がないと考えてしまっている人はいるのではないでしょうか。
また、そもそもその差別に対して、大まかなイメージだけを持って、知ろうとせずに蓋をしてしまっている人も多いのではないでしょうか。
今日はこのような視点で、なぜ差別に対して知識が必要なのかについて、まとめていきたいと思います。
学校では教えてくれない 差別への向き合い方 編です。
※ここでいう学校では教えてくれないというのは、公教育の土台の中にこのカリキュラムが組まれていない(そんな隙間がない)ということで、熱心な先生の中には個人的に伝えている方もいらっしゃいます。ただ、仕組みとしてはそうなっていないよね という問題提起です。
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目次
I have black friends論法
まずはさきほど登場した、この論法の矛盾点について指摘していきます。
自分には黒人の友人がいるから、黒人を批判・差別するはずはない
といって、厳しい言葉を浴びせかける
こんな場面があるそうです。
ここでおさえなくてはならないことは、どんな友人を持っているかどうかでその発言が差別かどうか決まったりしないということです。
友人がいて、その友人のことをよく知っているから批判するわけがない
ということなのでしょうが、
そもそもその友人と批判されている対象は違う人です。
人は一人ひとり性質や特徴、すべてにおいて違うのです。
友人のことをよく知っている→その人や黒人そのものを批判するわけがない
は飛躍しすぎているのですね。
友人のことを知っていれば、黒人すべてを理解していると思い込んでしまっているところに差別してしまう危うさがあります。
もう一つは、差別される側にたてていないという点です。
差別というのは、常に相手側がどう考えるか が一番にきます。
自分よがりに ”自分はこれだけ知っているから差別しないぞ” では
差別は一生なくなりません。
相手がその発言を 差別だと受け止めるかもしれない そういう視点が欠けてしまっているのですね。
悪気はないから許せ
次によく聞くことが、悪気はないからそんなに重く受け止めるなよ です。
これは、マイノリティ側の被害とマジョリティ側の意図が天秤にかけられてしまっているという点で間違いです。
その発言を受けて、実際に心に傷をおってしまっている(被害)ことに対して、そんなつもりじゃなかった(意図)は関係ないはずです。
この被害と意図が同じ天秤にかけられ、しかもその天秤が意図の方を優先するとしたら、これは暴力以外のなにものでもありません。
この問題に対しても相手の側にたった発言ができているかどうかを常に考えておくことが必要です。
悪気はないと近い意味で使われるのが 知らなかった です。
知らなかったら、何を言っても良い理由にはなりません。
この問題に対しては、正確な知識を持つ ということで乗り越えることできます。
差別対象に関して持っている、ぼんやりとしたイメージを確かな知識に置き換えていく必要があるわけです。
間違っても ○○ってこんな人だよね
ってひとくくりにして蓋をしてしまう ではいけないのです
どこまで知っていればいいのか
というと、どこまで知っていればいいんだよ 何もかもは無理だよ
って声が聞こえてきそうです。
確かに知らないことは犯罪ではありません。
ここで開き直る人が多くでそうです。
だけど、
一点の曇りもない完璧な人にはもちろんなれないけど
人を傷つけない程度には誠実であれよ(知らないことで傷つけてしまうことがあるのであれば、せめてそうしてしまわない程度の(最低限な)知識は持っておけよ)
と言われたらどうでしょうか。
人との関わりなしには生きていけない世界で、せめて最低限知っておけよ と言われたらドキッとしませんか?(ぼくはしました)
本当はこの最低限が公教育であるはずですが、ここにも限界があるので、各自で抑えておく最低限の知識は自分で習得していく必要があるのです。
差別を本当の意味でなくすためには
心を優しく、良心的であれ
だけではなく
正しい知識を正確に知った上で
それでも一人ひとりは違った人であること、相手がどう捉えるかが一番
これらを念頭においてコミュニケーションをとっていく
これが必要ということなんですね。
あなたもまずは 知る ということから始めませんか?