おはようございます。”おこめさん”です。
今日の内容は人生の大事な選択に迫られたぼくの頭の中を整理する
という完全に個人的なものになってしまいます。
すいません。
何かを選択しないといけない状況は誰にでもあると思います。
そのとき、自身の思考を整理し、後悔のない決断を下す参考になればと思い、記事に書き起こします。
あと、ぼく自身が10年後にこの記事を読んで、こんなことで悩んでいたなぁと懐かしむためでもあります。
おこめさん→現在育休中の2児のパパ。教員10年目。子育て、教育に関して毎日発信中
目次
仕事を続けるか独立するか
人生の大事な選択というのは、このことです。
かなり大事な選択ですよね。
もちろん家庭第一です。
家族がいるのに、独立ってリスクが高くない?
そんな声がバシバシとんできそうな内容です。
なので、一旦冷静になって整理してみます。
まずやったのは
この適職の選び方から、自分の適職を数字で測定するという方法です。
結果はこうです。
わかりやすく結果に現れています。
ただ、これだけできっぱり決断できるほど、簡単な問題ではありません。
次に、文章として独立によって変化することを様々な観点からまとめてみました。
軸は「自分、家族、同僚や生徒」 「得られること 失われること」です。
得られること
1、やりたいことができる
今の学校現場では、それぞれの先生ができる限り精一杯やっています。
先生方は自分の人生を削りながらも、目の前の子供達のために一生懸命はたらいています。
それでも限界があります。
個人としてクラスの子どもたちに質の高い教育を届けることができている先生もいます。
それでもシステムとして、限界があります。
公教育でカバーできない領域が増えてきています。
しかし、家庭教育に任せきることもできない領域があります。
(ある程度の専門性が必要な部分)
今の塾は、学校で教えた内容を補填する、もしくは学力を伸ばすことを第一にしているところばかりです。(もちろんそれも大切だとは思いますが)
これでは、日本のミライを支える子どもたちに十分な教育が届ききらないと感じるのです。
そのために、
学校では教えてくれないけど社会で大切なことを伝える
変わりたいけど変われないっていう自分に自信のない生徒に
習慣の改善を通して自信をつけさせる
生徒たちにとってもう一つの居場所となる
そんな塾を立ち上げたいのです。
これは、今の仕事をしていてはつかめないものです。
得られることの最大はこの点です。
2、一から作り上げる経験
現場のシステム上にエラーがあることははたらく教員にとってはわかりきっていることです。
その声をあげてもすぐにかわるものではなく、どこか諦めに近い形ではたらいている人も多い気がします。
子どもたちにうまく教育が届くシステムを一から作り上げる経験も、これまた現場では得られないことです。
そのシステムが完全にうまくいくかはやってみないとわかりません。
だけど、そういう挑戦できる環境に身を置くということに価値を感じます。
3、時間
基本的に独立後は、塾の時間以外はフリーになります(そのはず)
日中が完全にフリーになります。
日中の動きは自分のさじ加減でどうにでもなるので、子どもの送り迎えや子どもの行事への参加、家事を終わらせておくなど奥さんのサポートも可能になります。
読書をして知識のアップデートも可能です。
新しい取り組みに挑戦することも可能です。
とにかく、時間を捻出できることも大きな利点です。
お金よりも時間が大切です。
ガクトさんも中田敦彦さんとのYouTubeの対談で
「お金って失っても稼げば手に入るもの。失った時間は二度と返ってこない」と感じ、時間を手に入れるために動いたそうです。
4、挑戦
独立すると、何に挑戦するのも自由です。
(失敗して多額の借金を背負うということでなければ)
例えば、日本のどこかで震災があったとき、そこのボランティアとして活動できます。
例えば、映画館の立ち上げに仲間と共に携わり、新しい経験を得ることができます。
例えば、教育に関して更にサポ-トできることを見つけたら、すぐに事業にするために動くことができます。
何にしてもとにかく挑戦し続けられます。
5、納得感のある対価
独立後は、自分で届けたいものをつくりあげ、それを全国の家庭に届けることが必要になります。
その過程は、シビアなものになると覚悟しています。
自分がいくらいいものだって思っていても、そのニーズが世の中にないかもしれない。またはそれだけの対価を払う価値がないと判断されるかもしれない。
また、世間的にニーズのある、いわゆるいいものをいくら作っても、届けられないと意味がない
つまり、これまでのような独りよがり(これが人生の大切な哲学だ!このやり方が大事だ!これってすっごいおもしろいでしょ?)ではダメだということを突きつけられます。
そのような環境に身を置くことは怖さもありますが、
何をやっていてもどんな人にも平等な対価が支払われる(もしくはその基準が明確でない)
というよりは、はっきりと自分のやったことが評価され、
またその評価基準に対してもお客さんに聞くことができて、ある程度の納得感が得られる
これは大きいものだと思います。
怖さもありますが、そこに挑戦していきたい と燃えている自分がいます。
6、心の余裕
自分の成長の時間を物理的に確保できることで、
常に新しいことを学び、挑戦し続けることで、自分に対する自信を見失わなくてすみます。
現場ではたらくと、精神的にしんどいときは だいたい時間も確保できなくなっています。
問題に対処しようとしてもそのために学習する時間もない。
突然八方塞がりになる場面があるのです。
独立後にも問題やストレスは今と同じかそれ以上にあるかと思います。
だけど、その問題を解決するための時間があることで、心に余裕がうまれると思うのです。
7、ミライを生きる子どもたちにとって
これはぼくの子どもたちにもそうですが、去年まで接していたすべての生徒に対しても思うことで、
どこかに雇われて生きる という選択肢以外に
自分で仕事をつくる という選択肢が本当にあるんだ!
ってことを身を持って教えてあげられることが自分にとって大きいです。
ついつい学校の中だけでは、組織に属することを前提として指導することがあります。
ルールがもともと決まっていて、そのルールをどのように自分の中で落とし込んでいくか
まわりのことを考えて、今自分がとるべき行動は?
(自分の本当の思いは二の次)
のように、学校という場所は無意識に、組織に属することを前提に教育が組まれているように感じます。
組織に属してさえいれば安心だったかつての日本の社会をいまだにアップデートできずにいるのが学校現場の実情かと思います。
(もちろん、先生個人としてそうじゃないって戦っている人はいますが、システムとしてはそのような形になっています)
そんな子どもたちに、そうじゃない生き方もあるって身近な大人が見せることができるのは自分にとって大きなメリットです。
(一応、職場の同僚などの大人たちにもそれを伝え、自身の人生を見直すきっかけも与えられるかとも思います。)
失われること
1、安定、保証
これはさけては通れません。
今の仕事をしていれば、基本的に職を失うということはないわけですから。
そして、今の仕事によって受けられる支援 もなくなることを覚悟しなくてはいけません。
例えば、今回ぼくがとった育休、介護休暇、時短などの制度です。
また、退職金などに関してもです。
クレジットカードを作ることさえ厳しくなります。
独立後は、確実な保証のない状態で過ごしていくことになるので、この点の不安やストレスは増すでしょう。
この不安を消すためには一定の稼ぎと将来への備えを自身で行っていく必要があります。
ここは毎日の勉強と、ビジネス力でカバーします。
(奥さんもはたらいているという点には甘えたくない)
2、影響力
独立後は世間的には何者でもない一個人になります。
今は先生という立場になっていて、学校にもそれなりに影響できます。
もちろん子どもたちに対しても。
それは先生という肩書が大きいような気がします。
それがなくなるということは、一から個人として影響力をつけていく必要が出てくるわけです。
(そっちの方がむしろ良くない?って思ってる自分がいますが)
逆にいうと、定年退職を迎えたあとの人生の先輩たちが
喪失感のようなものを感じるのはこの部分が大きいのかもしれません。
また、公教育を中から変えていく機会もこれによって失われます。
先生 として、意見することと 一個人として意見することには重みが全然違ってきます。(ここもできれば個人の影響力をおおきくして、いつかは公教育を変えることに携わりたい気持ちはあります。)
3、生徒、同僚からの信用、つながり
完全になくなるわけではもちろんありませんが、育休明けに返ってくる と思っていた人たちからは、残念な気持ち が残ってしまうのは確かだと思います。
人によっては恨む気持ち、裏切られた気持ち を持つ人もいるかもしれません。
ここの気持ちを大事にする ことを優先するのであれば、独立という選択肢は即座になくなります。(つい最近までここで止まっていました。)
独立の選択をとるとこの気持ちを完全になくすことはできないかもしれません。
だけど、そうならないように出来る限りの手立ては講じる必要はあると思っています。
それでも、マイナスな感情を抱かれてしまうことに関しては、ある意味割り切って受け止めないといけないと思っています。
4、男性育休に対するいいイメージ
残念ながら、これも避けては通れない気がします。
もともとは、自分が先駆者となって、もっと男性が育休を取りやすい社会を
と考えていました。
毎日の勉強を通して、自分の視野の狭さに気づき、自分が本当にやりたいことに気づき、今の悩みに至るわけですが、
まわりにはそんなことは関係なく、
育休をとって、仕事をやめて、独立した
という結果だけが伝わります。
育児もせずに自分のことばっかりやってたんでしょ
とか
やっぱり男性は育休とるべきじゃない
とか
お金だけもらってやめるなんて
って考えが職場に広がることもありえる話です。
(ちなみにぼくの半年間の育休中に給料は一切もらっていません)
でも、育休をとって思ったのは、世の中には男性で育休をとっている人が実はたくさんいて、(今もどんどん増えていて)
自分一人の影響よりも、社会全体の波がそんな職場の空気も打ち消すくらいの大きなものになりつつあるのだと感じました。
このことを理由に独立を断念(もしくは1年延期)したら、それこそ自分の後悔につながると思います。
5、学校でしか味わえない経験
すでに9年(うち2年は小学校)の現場経験があるので、これも割り切れる気はしていますが、ここも見過ごせない部分なので書いておきます。
学校では、様々な家庭環境の様々な思いをもった子どもたちが毎日学校に通ってきます。
授業に後ろ向きな子もいれば、友達と遊ぶことばかり考えてる子もいます。
そんなたくさんの子どもたちに対して、自分が好きな理科をどうやって伝えていくか、
このことに情熱を注ぐという経験は一旦できなくなります。
そして、体育祭や文化祭、卒業式といった涙を流すような行事を
担任として子どもたちと一緒に過ごすことも一旦できなくなります。
ここに一旦 と書いたのは、独立後すぐにはできないが、ゆくゆくはそんな機会を作りに行ってもいいとは思っているということです(学校に戻るという意味ではなく)
人生の舵を自分で握る
結局はここにいきつくと思います。
育休をとって最初の方に出会った 7つの習慣
この第一の習慣は 「主体的である」
でした。
主体的というのは自分の人生を自分の価値観にもとづいて自分でコントロールする
ということです。
条件づけや状況に支配される人生は反応的になってしまいます。
反応的な人はまわりの環境に影響をうける
天気がよければ気分がよくなる
天気が悪ければ気持ちをふさぐ
人にちやほやされると気分がいいが
そうでないと殻を作って身構える
反応的な人の精神は他者の出方次第でころころかわる。つまり自分をコントロールする力を他者に与えてしまっているのである。主体的な人は自分の中に自分の天気を持っている
雨が降ろうが、陽が照ろうが関係ない
あらためて、この一節を読み、自分の中にきちんとした天気を持っていたい
これまで周りの視線や環境に合わせて生きてきた人生だったからこそ、そう感じるのかもしれません。
自分の人生を自分の手でコントロールしたい
その思いが強くなります。
自ずと答えは出ている気がします。
結論
独立します。
ここに書いたので、もう後戻りはできません。
この記事を起点にぼくは前に進みます。
絶対に後悔しません。
だって、この選択は誰にでもなく、自分自身で決めたこと
自分で自分の人生の舵をしっかり握った瞬間だから
おわりに
今日は本当に個人的な内容になりました。
読んでくださる方にいつものようにわかりやすい価値を提供できてはいません。
ただ、何かの決断をするというときに、今回のようにすべてを文字にしてみて、自分で読んでみる
というのは非常に有効な方法だと思います。(ぼくも最後の章を書く前に何度もそれまでの文章を読み直しました)
そういう点で何かお力になれたらと思います。
また、このように弱いぼくが自分の中の悩みをありのまま出すということで誰かの力になれることがあるのかもしれません。
今日の内容でしれっとふれましたが、ぼくは仲間と一緒にはたらくことが本当はだいすきです。
なのに、いきなり一人でやりくりしていくので、不安はあります。
だけど最初はこれでいいと思っています。
自分の足で地に足をつけて前に進んでいきます。
いつかは 仲間と一緒に歩んでいきたい
そのときまでに信用できるパートナーをさがしつづけます。
これもある種の宣言でした。
今日はここまで読んで下さってありがとうございました。