おはようございます。”おこめさん”です。
昨日は久しぶりに学校の元同僚と食事をする機会がありました。
今日はそこで感じた、前向きな会話の重要性についてまとめていきます。
いわゆるそこにいない人のグチをぶつけるだけの会ってホント無意味だよねって結論です。
おこめさん→教員10年の後、4月から独立、6月からオンライン塾を開校予定。2021年3月末まで半年間の育休取得の2児のパパ。
目次
昨日の会話の内容
ほとんどが教育のことでした。
学校教育の現状について
市全体の教育について
今後、どのようにICTを活用していけばいいのか(授業がどう変わる?)
子どもたちのために現場での働き方改革をどうすすめていくのがいいのか
それに対して外部の人間としてどう動いていけばいいのか
おはこやに対しての新しい視点からの構想
などなど
今はそれぞれ違う立場にいるもの同士、みんなから聞ける話はどれも興味深いものがありました。
(もちろん、いますぐにぼくたち個人ができることは限られていますが、先を見据えてビジョンを描く時間というのが最高に有意義でした)
常に前向きな議論
ぼくたちは当たり前のようにその会話を楽しんでいたのですが、それを聞いていた奥さんが夕食後にポツリ
「よくそれだけ熱く話すことがあったね。しかもみんな話し合いが前向きっていうか、誰も愚痴を言わないよね」
子どもたちの面倒を見てくれていた奥さんには感謝しかありませんが、こういう外側からの視点で感想を聞けたことにも感謝です。
たしかに、ぼくたちはいつも話をするとき、ほとんど愚痴っぽい愚痴は出てきません。
あったとしても、それをどうクリアするか、
課題解決にすぐに方向転換している気がします。
愚痴をいったところで、何かが解決することにはならないってことをみんな自然と理解しているんですよね。
出来ないことを嘆くんではなくて、
どうすればできるようになるのか、
どうすれば目標達成に近づくのか、
その状況の中で自分たちに今できることは何なのか
こういう話しに自然となっていきます。
一方、愚痴をいうだけの会になると、生産性のかけらもなく、ただストレスを発散するだけの時間になります(ストレスを発散することは大事だけど、その根本の原因をどうしたら解消できるのかを話した方が有意義な気がする)
少し調べてみると、愚痴というのはそれを言うことで脳内でドーパミンがでて快楽を得るようになっているそうです。
しかしドーパミンの影響を受けた脳は、その刺激にだんだんと慣れてしまい、さらに強い愚痴などを言わないと快楽を得られなくなるそうです。その結果どんどん愚痴がエスカレートしてしまったり、それが癖になったりするようです。
また、東フィンランド大学の研究によると、世間や他人に対する皮肉・批判度の高い人は認知症のリスクが3倍、死亡率が1.4倍も高い結果となりました。批判的な傾向が高ければ高いほど、死亡率は高まる傾向にもあるそうです。
愚痴をいうことは百害あって一理なしということです。
(とはいえ、ストレスを溜め込むことはいけないことなので、発散方法を考えることに落とし込むことが大切)
会議でも
これって会議とかでもとっても大事な考えですよね。
「現状、こういう課題があって、それを解決するために〇〇をしようと思います。いかがですか?」
と提案すると
「それはこれまでやってきたことがなかったからダメだ!」
「そんな時間はありません。できません!」
こんなことってよくありませんか?
学校ではよくありました。
でもこれって会議で提案されたことに対する返答になっていないですよね。
大事なのは、現状の課題を解決することであって、批判することではないはずです。
もし「できない」というのなら、きちんと代案を示さないといけません。
そうでないと現状の課題がそのままになってしまうからです。(そもそもその課題が本当に課題なのかを全体の中で明確にしておく必要もあります)
おわりに
今日は貴重な時間の大事な使い方というテーマでまとめてみました。
最後は会議のことについてふれましたが、こういう会議の進め方ってそういえば、そういえば誰にも教わってこないんですよね。(会社に何年務めていようが、教わっていないものはしょうがないのかも)
だから、会議が時間を奪うものになっているのかもしれません。
ということで会議の仕方について、ちょっと本を読んでみようと思います。(これは完全に大人向けな気がします)
もしおすすめの会議の本があれば教えて下さい
(ちなみには今チェックしているのは”世界で一番やさしい会議の教科書”)
積み本がまだまだ10冊以上ありますが、なんとかして読んでいきます。
今日もここまで読んでくださってありがとうございました!